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Spring Has Come

Spring Has Come

妊娠に至るまで

死産後、私たち夫婦は一日でも早く次の子を欲しかった。
不謹慎だと思われるだろうが、次の子を授かることで
全てが白紙に戻るような、心機一転出来るような、そんな気がしたのだ。
しかし一向にその兆候は見られなかった。

今までが特に苦労もなく3人授かっているのだから、不安にもなる。
胎盤早期剥離が原因で、突然不妊症になったのかも知れない。(根拠なし)
一度検査しても損はないだろうと、私は再びN病院へ足を向けた。
本当は訪れるのは辛いのだが、不妊外来もあるので頼りにしようと思ってのことだ。

O先生は、他県の病院に異動していた。
相談するのはO先生しかいないと思っていたので、とてもショックだった。
代わりに診察したのは年配の男性医師だった。
内診結果は特に異常なし。月経も順調。
「精神的なものかも知れませんね。そんなに焦る必要もないでしょう。
 だってお子さん二人いるんでしょう?なら別にいいと思うけどなぁ。
 まだ若いんだし。」

不妊外来には、全く子供に恵まれたことのない人や
私以上に辛い経験をしている人が沢山来ているだろう。
医師の言うことも全く正論かも知れなかった。
だが、子供が既に二人いるということと、新たな子を宿したいということは
私の中ではつながらないのだ。
「まぁ、まだ若いんだから・・・(また産めば?)」
回りの素人たちだけでなく、お産のプロにまで言われるとは思ってもみなかった。
何か言葉を返す気も失って呆然としている私を見て
その医師は少しだけ親身さを見せてくれたが、
もう私にはそこに座っているのは時間の無駄でしかなかった。
型どおりのお礼を述べて帰途についた。

そんな折に、義母が肺癌で他界した。
発見された頃には既に末期で、暮れに入院してから亡くなるまでほんのひと月足らずであった。
正月に一時帰宅を許可してもらい、1月2日、身内とお喋りしたりしたその晩に自宅で倒れ、
救急車で病院に運ばれたものの、そのまま静かに最期を迎えた。
春歌の死に号泣する私に、温かい胸を貸してくれた義母。
元気に仕事をこなし、休みの日には息子たちと遊んでくれた義母。
せめて次男が小学校に入る頃まで・・・次の子ができて、生まれるまで・・・
生きていて欲しかった。温かい人だった。

夫は、娘・母と立て続けに大事な人間を失い、内心とても辛かったと思う。
本来なら子供を作るような心境になれない筈だが、
それでも私の気持ちをも察してか、協力してくれた。

ある日、自宅から近い産婦人科と小児科・皮膚科を併せたS医院に赴いた。
実は、次男を妊娠中に通っていた所なのだが、
妊娠中の体重管理や生活にものすごく厳しい先生で、
面倒くさくなって里帰り先の診療所に転院してしまっていたのだ。
うるさいけれど、ここの先生ならじっくり向き合ってくれると思った。

このT先生は、ありがたいことにと言うか困ったことにと言うか、
私の顔をしっかり覚えていた。
死産のことを説明し、一刻も早く次の子が欲しいと話すと
何も説教などせず、早速タイミング指導に取り掛かってくれた。
「二人もいるんだから」と言われずに済んだのだ。この先生を頼ってよかった。
心がふっと楽になったお陰なのか、はたまたタイミング指導のやり方がよかったのか、
何と排卵を一回見ただけで見事に妊娠することが出来た。
義母の四十九日を過ぎた日のことだった。

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